吉備の古墳

昨日からの続きです…

造山古墳の頂上に、高松城水攻めの時毛利方の築城跡が有りましたがこの話は、高松城清水宗治が御本尊としていた仏さまの話です。宗治が滅んだ後は、備中国分寺で祀っていたのですが、国分寺の住職の夢の中で仏像が「清水に帰りたい」て訴えられたので清水( 萬福寺) のお堂に帰されたのがこの薬師如来です。 
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清水宗治は、水攻めにあい城兵の命を助けるために舟の上で舞をまい自刃した日本一の武辺者と呼ばれています!

辞世の句

   浮世をば  今こそ渡れ   

          武士(もののふ)の 

                      名を高松の  苔に残して

そんな郷土の武人の事を思いました❗ 
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次ぎは楯築弥生遺跡です。

弥生時代後期約1800年前の自然地形を利用して出来た大きなお墓だそうです。

まるでストーンサークル

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丸い丘の上に5コの巨石が立った状態で置かれたていた。お堂の中には亀石が置かれていが現在は近くの倉庫に仕舞われている。
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 ここから眺めは古代には吉備の中山と呼ばれた所だが木が高く伸びたのだろうか良く見えなかった。

まだまだ見たいとこが有りましたが次回の楽しみにと帰路に💕

途中瀬戸内海の牡蠣の試食がある御津室津漁港に立ち寄りました。


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